東北電力フロンティア 水のチカラ〜あきたeでんき〜

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ーINTERVIEWー

  • 秋田の水と共に生きる01

    長い歴史を持つ酒蔵で10年以上杜氏を務めている一関さんに、
    酒蔵にとっての「水」についてお話を伺ってきました。

    秋田県由利本荘市矢島。鳥海山の麓で百九十四年にわたり酒造りを行う天寿酒造の杜氏である一関さんは、かつて県内最年少でこの重役を担い、現在41歳で杜氏歴12年目を迎える。
    「小さいころから日本古来の文化や伝統工芸、モノづくりなどに興味がありました。大学で醸造学科に進学したのも、日本酒や発酵食品などの食文化を学んで、将来的に秋田に帰りその分野で働きたいという思いがありました。大学で所属していた研究室の先生が弊社の社長と知り合いで、秋田出身者を探しているという相談があり、そこで私に白羽の矢が立って天寿へ入社することになりました」。
    天寿酒造がある矢島は、鳥海山の登山口でもあり、県内でも有数の豪雪地帯。秋田流低温長期発酵という秋田古来の酒造りの手法にはぴったりの環境であり、80年ほどかけて滲み出る鳥海山の伏流水を仕込み水としている。
    「私が杜氏になって、社長から依頼されたのは〈変わらない〉ということでした。その時は今まで通りやればいいんだ、と解釈したんですが、今思えばとても難しいことでした。先輩たちが残してくれた仕込みの配合は変えていませんし、そもそもここの仕込み水を変えることはできない。でも、実は毎日同じことをしていても同じ酒にはならないんです。同じ水、同じ米を使っても、さまざまな要因によって麹の強さや酒母の育ち方は少しずつ異なる。社長はとても難しいことを命じていたんだなと、今になって思います」。
    天寿酒造の〈鳥海山〉は、この地でできる最高の酒を目指して現在の代表である七代目大井永吉氏によって開発された、当蔵の代表銘柄である。
    「鳥海山は当蔵の仕込み水と同じお水で育ったこの地のお米だけを使います。そのために欠かせないのが天寿酒米研究会の存在です。米づくりの期間中に数回、会員の農家さんに集まっていただき、生育状況などを確認します。同じ田んぼでも、場所によって育ち方は違ってしまう。そこで、水の当たるところと陽の当たるところの稲株を持ってきてもらい確認します。酒米は飯米と違い、酒造りに適したお米を目指す必要があり、タンパク質や米の硬さなどが理想に近づくように農家の方と細かく調整していきます。蔵のオーダーに対応して米づくりをしてもらっているので、もちろん酒米研究会のお米は全量買取です。ゆくゆくは、自社で米づくりを行えたらという思いもありますが、焦らず、少しずつ実現していきたいですね」。
    天寿の仕込み水は鳥海山の自然がもたらす超軟水。硬度が低くまろやかで、やわらかい。お酒にしたときに「辛口」になりにくい特徴があるという。一関さんにとって、この〈水〉とはどんな存在なのだろうか?
    「私たち酒蔵がここにある意味は〈水〉なんだと思います。この地にこの水があるから、ここにある。水は、蔵にとって〈変わらない〉アイデンティティーなんです。この水をどう活かすかを考え、醸すのが私の仕事だと思っています」。
    天寿の仕込み水と向き合い、酒造りに真摯に励んできた一関さん。これからも、この地でできる最高の酒を追い求め、醸し続ける。

    一関 陽介◯いちのせき・ようすけ
    1982年秋田県秋田市出身。幼少期に和太鼓をやっていた経験から日本古来の文化やモノづくりに興味を持つ。東京農業大学短期大学部醸造学科に入学し、醸造学を学ぶ。担当教授の紹介を経て、平成16年に天寿酒造株式会社へ入社。蔵人として経験を積み、前任の杜氏が引退するタイミングで弱冠30歳の若さで杜氏に就任した。令和4酒造年度全国新酒鑑評会では金賞を受賞。

  • 秋田の水と共に生きる02

    伝統工芸士としても釣り人としても一級品の腕前をもつ渋谷直人さんに、
    秋田の川の魅力について聞いてきました。

    湯沢市川連町。800年の歴史を誇る川連漆器の産地に構えた工房で、伝統工芸士の渋谷直人さんはその日、黙々と竹を削っていた。
    「家が川連漆器の塗家だったので、事業を承継するのは自然な流れでした。ただ、いつ売れるか分からない工芸品を作り続けることには違和感があって。新しいニーズを掘り起こすようなことがしたいとずっと思っていたんです」。
    渋谷さんが作っていたのは、フライフィッシング用にデザインされた釣り竿(フライロッド)。釣り師としても名を馳せる渋谷さんの完全ハンドメイド品は、発売以来予約待ちの状況が続いている(納品まで3年待ちとも)。
    「フライフィッシングで思い通りのアクションができるロッドを探しているうちに、自分で作るという結論に至りました。漆を塗ったのは、ウレタンの色艶があまりにも味気なかったからです。完成した『川連ロッド』は手にする喜びが十二分に感じられるもので、これなら世に出せると思いました」。
    渋谷さんが釣りの魅力と奥深さを知ったのは小学生のとき。父親に連れられ川に出かけたのが、すべてのはじまりだった。
    「その日、川にはイワナがいっぱいいたんですが、うまく釣ることができなくて、研究の日々の始まりです。フライフィッシングを本格的に始めたのは、中学に上がってから。毎日、釣りのことばかり考えてましたね」。
    現在の釣行はスクール&ガイドが主体。毎年春から秋にかけて、全国を飛び回っている。ガイドではファンから神と称えられるほどの腕前を持ちながら、自身の竿は携帯せず、ゲストに釣らせることだけに尽くす。
    「フライフィッシングは覚えることが多く、技術も必要な遊びですが、だからこそ底なしにハマれるということを伝えていきたいです。練度が求められる物事に人を引き込むには、何よりもいっぱい釣れた! という楽しい思い出、成功体験が大事ですから」。
    全国の川に精通する渋谷さんだが、1年で最も足を運ぶ場所は、やはり地元。この清らかな環境で育つ『秋田美人のような魚』が何より気に入っている。
    「秋田の川魚は他県の魚に比べて発色が良く、ウロコのきめが細かいんです。同じ東北でも隣県の川魚とは明らかに違います。水がいいことはもちろん、綺麗な魚を育む条件が揃っている。そんな魚たちに思い立ったらすぐ会いに行ける秋田は、昔も今も私にとって最高の場所。たとえ明日、この地が限界集落になっても、私がここを離れることはないでしょう。むしろ川からライバルが減ったと喜んでいるかもしれません(笑)」。
    地元愛の強い渋谷さんが唯一心配していることは、生態系に影響を及ぼすような山林、河川の開発。
    「先人から受け継いだ美しい自然は秋田の宝。これを次世代に渡すことなく、自分たちの代で枯らすのは身勝手すぎます。自然を利用するならば、保全もしっかり考えていく必要がありますね」。

    渋谷直人○しぶやなおと
    1971年、秋田県湯沢市生まれ。中学時代から本格的にフライフィッシングにのめり込み、いつしか狙った魚を100%に近い確率で仕留められる腕前をもつまでに。高校卒業後、父のもとで漆塗りの修行を積み、34歳で伝統工芸士の資格を取得。現在は、釣り師としての知恵と伝統工芸士としての技術を融合させたフライロッドの制作と販売、全国の川でのフライフィッシングガイド、著書や雑誌の執筆等を生業にしている。メディア出演多数。家族は妻と一男
    渋谷直人公式ホームページ http://kawatsura.com/